協議会のあゆみ 1990年-1991年

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1990年1月29日厚生省が「骨髄移植の評価に関する研究班」を設置
3月9日東海骨髄バンク、第1例目の成功を公表
4月25日厚生省評価研究班が、公的骨髄バンクの設立が必要と報告
6月24日全国骨髄バンク推進連絡協議会(以下、全協)発足(全国13団体加盟)
6月29日厚生省が「骨髄バンクの在り方に関する研究班」を設置
9月7日いわき骨髄バンク推進連絡会議発足
11月1日いわき骨髄バンク公開シンポジウム開催
11月19日厚生省在り方研究班、報告書発表
12月27日91年度予算に2億7000万円の骨髄バンク関連予算確定
1991年1月22日厚生省公衆衛生審議会に「骨髄移植対策専門委員会」の設置決定
3月19日いわき市他に無菌室設置を求める陳情書提出
6月7日骨髄移植対策専門委員会中間報告発表「骨髄移植推進財団(仮称)」の設立を提言
6月22日第2回いわき骨髄バンク公開シンポジウム開催

■いわき骨髄バンク推進連絡会議発足
1990 年 9 月 7 日、全国 14 番目の団体として県協議会の前身である「いわき骨髄バンク推進連絡会議」が発足されました。いわき市立総合磐城共立病院で行った設立総会には患者やその家族、ボランティア、医師、看護婦等が出席し、骨髄移植と骨髄バンクについて広く理解を求め、献血制度と同じような公的骨髄バンクの設立と、骨髄移植に不可欠な無菌室を持つ医療センターの県内設置を働きかけていくことを確認しました。

■いわき連絡会議初のシンポジウム
1990 年 11 月 10 日、「泣いてばかりいては助からない。皆さんのパワーと熱意は、先生や国を動かすと信じています。」の思いのもと、初のシンポジウムを開催しました。会場には約 250 人の市民が集い、骨髄バンクと骨髄移植について学びました。講師にはいわき市立総合磐城共立病院の齋敏明医師、茨城県立こども病院の土田昌宏医師、東海骨髄バンク理事の大谷貴子さんを迎え、医師が骨髄移植を取り巻く環境や問題点などを話し、大谷さんが自らの移植体験に基づいた力ある話をし、会員の患者やその家族が、発病後の心の変遷などを切々と訴え、死の淵から生還した日々を発表しました。
最後に、(1)公的骨髄バンクの 1 日も早い実現、(2)提供希望者の健康と人権を確実に守るバンクシステムの確立、(3)善意の輪を全国あらゆる地域で広めるシステム確立、(4)骨髄移植医療体制の緊急な設備充実の 4 項目からなる声明文を、全会一致で採択しました。

■私立病院に無菌室を
1991年3月19日、岩城光英いわき市長、大平多太男いわき市議会議長、いわき市立総合磐城共立病院宇留賀一夫院長に、無菌室の設置を含めた骨髄移植医療体制の充実を図られるようお願いし陳情書を提出しました。

■シンポジウムそしてシンポジウム
1991 年 6 月 22 日、第 2 回いわき骨髄バンク公開シンポジウムを開催し、まだまだ理解が難しい白血病について、白血球の HLA の型について、それらを踏まえたうえでの骨髄移植がもたらす長期生存率向上への期待などが、専門的な見地から話されました。また、1991 年 10 月 26 日には、第 1 回福島県骨髄バンク公開シンポジウムを開催し、いわき市から福島県へ、組織の拡大の第一歩を踏み出しました。