協議会のあゆみ 1992年

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1月6日日赤、各地の血液センターに骨髄データセンターを設置し、ドナー登録を開始
1月10日福島県骨髄バンク推進連絡協議会(以下、県協議会)発足(いわき支部、県北支部、郡山支部)
6月22日日本骨髄バンクが骨髄移植希望患者の登録受付を開始
7月ドナー登録累計1万人突破
8月6日福島県へ「骨髄バンク事業についての要望書」提出
8月8日全協主催ボランティアセミナーに参加
9月日本骨髄バンク、ドナーコーディネートを開始
10月3日ハートフルサタデー103献血運動に参加(郡山市)
11月1日骨髄バンク公式シンポジウムinふくしま開催(福島市)
11月28日レディースシンポジウムin福島開催(福島市)
11月29日レディースシンポジウムin会津開催(会津若松市)
12月いわき、会津、両骨髄データセンターでもドナー登録受付開始
12月12日財団主催1周年記念全国大会(東京)
■福島県骨髄バンク推進連絡協議会発足
1992 年 5 月 24 日(日)、関係者の願いの形として県協議会が発足されました。当日は設立記念講演として、福島県立医科大学小児科の菊田敦先生が、「骨髄移植と骨髄バンク」と題し講演され、スライドとビデオを使った分かりやすい内容に会場の市民の皆さんも真剣に聞き入っていました。また、会長に選出された太田緑子氏が、「人命は尊くそして平等です。住んでいる場所の違いや、貧富の差などにより、水準の高い医療が受けられないことがあってはならないと思っています。骨髄移植も、それを望む患者さんが、等しくその恩恵に浴することのできる社会環境を作っていかなければなりません。広く県民の皆様に、骨髄バンクについてのご理解を頂けるよう努力していきたいと思いますので、関係各位のご協力をお願い致します。」と挨拶しました。

■骨髄バンクレディースシンポジウム
1992 年 11 月 28 日、29 日の両日、12 月を骨髄バンク推進月間とすると国が決めたことに先立ち、福島市と会津若松市でレディースシンポジウムを開催しました。シンポジストには、骨髄バンク運動の始まりがお母さん達によるものなので、全国を駆け回り骨髄バンク運動推進に力を注ぐ女性三氏(大谷貴子さん、池田あゆみさん、刀根麻里子さん)を招きました。このときのパワーあふれるお話は、シンポジウム前の8月5日に報道された兄弟間骨髄ドナー事故でしぼみかけた気運が、また高まるものとなりました。

■出先血液センターでのドナー登録開始
それまで福島県骨髄データセンター(当時:福島市渡利、現在:福島市永井川)1ヵ所のみのドナー登録受付でしたが、1992 年 12月より、いわきと会津の血液センターでもドナー登録受付ができるようになりました。いわき血液センターでは月曜日と水曜日の週2回、会津血液センターでは第2火曜日か木曜日の月1回のドナー登録受付が開始され、これは福島県骨髄データセンターがドナー登録希望者の要望に応え実現したものです。
全国 67 骨髄データセンターでドナー登録受付が開始されて以来、こうした出先血液センターでの窓口拡大は全国初であり、画期的な措置でした。当時はまだ、骨髄データセンターの固定窓口でのみドナー登録受付が行われており、骨髄移植推進財団へのハガキ登録(1998 年 12 月に手続きの簡素化により廃止)は済ませながらも、時間的距離的な問題により登録のための採血が受けられずにいた希望者のありがたい受け皿となりました。